友達付き合いについて考える

日常、たまに鬱

留学1〜2ヶ月目のころ

これは、留学してしばらく経ち、環境にも少しずつ慣れてきた頃の話です。
職場やミートアップを通じて、少しずつ人とのつながりが広がっていった時期でした。

それ自体はうれしいことだったし、新しい出会いにワクワクもしていたのですが、関係が広がるにつれて、こんなループに入ることが増えていきました。

「寂しい → 遊ぶ → 気を遣う → 余計寂しい」

留学の本当に初期に感じていた“ひとりぼっちの孤独”とは違うけれど、ふとした瞬間に、なんとも言えない寂しさや孤独感を覚えることがあって。

もちろん、遊んでいる最中は楽しい瞬間もあるし、笑える会話もある。誘えば会ってくれる人もいる。
そういう友達がいること自体、ありがたいし、ある意味では贅沢な悩みだというのも分かってるつもりです。

でも、自分が心から気を許していない限り、身体のどこかがずっと緊張しているような感覚があるんです。


本当は“優しさ”じゃなくて、“警戒モード”だった

最近になってやっと気づいたのですが、
私が人と関わることで疲れてしまう理由って、“優しさ”から気を遣っているというより、常に“警戒モード”でいるからなんだと思います。

警戒モード、というとちょっと大袈裟かもしれませんが、常に鎧をまとって動きにくいような感覚。
たとえるなら、スノボの靴を履いたまま歩いているようなイメージです。

どれだけ外側で明るく振る舞っても、内側の本当の自分は人見知りで、無意識に鎧を着て自分を守ろうとしていたのかもしれません。

だから、友達と関わることがストレス発散になるどころか、むしろ消耗する。
それも体力ではなく、精神的なエネルギーが削られるような感じ。

普通に歩くのと、スノボの靴で歩くのは、全然違いますからね。


SNSがしんどく感じるときもある

こちらに来てからは、連絡手段としてインスタを交換することが増えました。
そのせいで、「知り合い以上友達未満」の人たちのキラキラしたストーリーと自分を比べて落ち込むことも増えました。

自分がストーリーに載せていても、実際はあんまり楽しくなかった…という日もあるし、
見えているものがすべてじゃないってことは、頭ではわかってるんですけどね。

もしかしたら、私ですら他人からは「楽しそう」に見えてるのかもしれない。
だから私は、自分の心を守るために、仲の良くない人のストーリーや投稿はかなりの数を非表示にしています。

全員というわけじゃないけど、一度でも「なんかしんどいな」と感じたら、すぐにミュート。
キラキラエンジョイ海外生活ストーリーにやられがちなタイプなので(笑)


今では、ちゃんと“楽しい”がある

ありがたいことに、上の内容で悩んでた時期は過ぎ、
今ではオーストラリアで数は少ないけど、本当に一緒にいて楽しいと思える友達もできました。

ふり返って思うのは、いくら3ヶ月同じ職場で過ごしても仲良くなれない人もいれば、
1〜2回遊んだだけで自然と心を許せる人もいるということ。

やっぱり友達や恋人って、自分の行動力みたいな努力も必要かもしれないけど、
最終的には「自分の意志だけではどうにもできないこと」もあるんだなと感じます。


自分を守る距離感を、大事にしていきたい

特別な対処法があるわけじゃないけれど、こうして思いを言葉にすることで、少し気持ちが軽くなりました。

「誰とでも仲良くならなきゃいけない」なんてことはない。
大切なのは、自分を疲れさせない“距離感”を、自分自身でちゃんと選べるようになること。

そうやって、自分にとって心地いい人間関係を、少しずつ育てていけたらいいなと思います。

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