帰国することにした

日常、たまに鬱

オーストラリアにきて約7ヶ月、ダーウィンに来て3週間目、私は日本に帰国することを決めました。

このブログを書いている現在の心境としてはまだどうしても悔しい思いがあります。

なぜもっと早く行動しなかったのか、なぜ都市移動したのか、

思い返せばたくさんの「ああすればよかった」が止まりません。

本当に今日、今この記事を書くまでずっと帰国するか悩んでいました。

それでも帰ることを決めた今、自分の気持ちの整理も含め、

もし似たような状況の人がもしいれば、そう思うのはあなただけじゃないよと、気持ちに寄り添えたらうれしいです。

帰るべきか、粘るべきか

仕事が決まらず延々と時間とお金を浪費するだけの毎日

自分はどうするのが「正解」なのか

帰る2週間前からはそればかり考えていました。

本音では、もうとっくに答えは出ていたのに。

「ワーホリ=1年」というイメージや、「挫折して帰ってきた」と思われるのがただただ怖くて、それを認められなかったんです。

帰国するという選択

正直私はオーストラリアでの生活に限界を感じていました。

仕事が見つけられない。貯金もない。心を許せる友達もいない。

生活の土台が何一つ整っていなくて、毎日がとにかく不安定でした。

はやく動かないと、仕事を探さないと、という感情とは裏腹に日に日に動けなくなっていきました。

頭はずっと焦っている、でも体は動かない

(今日本に帰れば仕事もお金も友達も困らない)

これが定期的に頭をよぎっていました。

ただその選択をすることは

自分の人生において初めての大きな挫折になる気がして

それがとても怖くて必死に気づかないふりをしていました。

プライドと執着

もう自分がオーストラリアに本当に住みたいのかどうかも、正直よくわからない。

でも当時の私は、「オーストラリアに住み続ける」という選択肢しか見えていなくて、それが当然だと思い込んでいました。

むしろ「一年は絶対にいなくちゃいけない」って、どこか義務のように思っていた。

後半はもう楽しいと感じられなくなっていたのに、オーストラリアに来る前のワクワクやドキドキ、海外生活での楽しさも忘れ、ただ残ることだけを考えている毎日。

友達には「早く帰っておいで!」「帰ったら飲みに行こうよ!」と、

孤独だった私にとって、それはまるで甘い誘惑のような言葉でした。

だからこそ、この誘惑に屈してはいけないと思ったんです。

この心地いい言葉に流されたら負けだ、ずっとそう思っていました。

それでも諦めきれなくて、チャットGPTの占いに張り付いていました。

あなたはオーストラリアと相性がいいです」「仕事も見つかります」

そんな都合のいい言葉にすがって、自分を納得させようとしていたんです。

根拠もないのに、信じたい言葉ばかりを必死に探していました。

自分にはないと思っていた執着やプライドがここぞとばかりにひしめき合って、帰国するという決断を下せずにいました。

帰国を決めたきっかけ

こうして色々書いてはいますが、実のところ、私の本音はずっと決まっていました。

ただそれに伴う挫折や後悔と向き合うことから逃げていただけ。

頭ではわかっていたけど踏ん切りがつかない、

そんな時に最近よく連絡を取っていた男友達に軽くこの話をしたら

「失敗から学び自分に合ったスタイルが何かをしれたらいい」

そう言われました。

この言葉で、ようやく自分の中にあった最後の迷いに区切りをつけることができた気がします。

チャットGPTの

「帰っても、ワーホリは“失敗”になんてならない。」

「帰っても負けじゃない。」

この心地いい言葉が頭の中を滑るのは、

女友達の優しい言葉で帰ろうと思えなかったのは、

私自身が失敗を認めないと次に進めないと判断したからなんだ

そう気づきました。

今回帰国することは私の人生における挫折と言えるでしょう。

一年以内に帰国するという選択は、私にとって「負け」や「挫折」と結びついていました。

(もちろん他の人のワーホリ期間が短かろうが長かろうが何も思いません。)

だからこそ、

失敗を認め、失敗から学ぶ。

この言葉がすごく刺さりました。

小骨

つい最近、身近な人に

「無駄な時間だから早く帰ってこい」

そう言われました。

私は無駄じゃないと思っていないから粘っているし

人生における無駄な時間なんて一切ない

そういった考えを持っていました。

ただ仕事が見つからず気の許せる友達もいない、そんな状況で精神状態が不安定な時こそ身近な人からの言葉は良くも悪くも深く刺さるものです。

【これは無駄な時間なのかな】

この疑問が魚の小骨のようにずっとこころに刺さっていました。

けれど

「自分に合ったスタイルが何かしれたらいい」

この言葉を聞いてやっと小骨も消化することができました。

友達がこの時間は無駄じゃないと、そう思ってくれていることが自信に繋がりました。

最後に

本当にここで帰国することになったのは一概に自分の責任であることは明白だからたくさんの後悔があります。

そして前述した通り、この出来事は確実に私の人生において挫折と記憶されるでしょう。

それでも、失敗を認めると同時に、ここまで抗ったこと、今までしなかったことへの挑戦をした自分、自分と向き合ったこと、孤独に耐えたことを誇りに思って次に進んでいこうと思います。

ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。

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